「美人画」で有名な宮永岳彦は、大正8年静岡県磐田市に誕生しました。名古屋市立工芸高校を卒業後、松坂屋百貨店で勤務をしながら自身のアトリエで画を描き続けました。昭和53年「平和憲法公布記念式典図」を制作、昭和54年には日本芸術院賞を受賞し、その後昭和61年に二紀会理事長に就任し、紺綬褒章をも受章しています。また、小田急初代ロマンスカーの内外装のデザインや全日本空輸のポスター、「べんてるくれよん」のパッケージのイラストなどを手掛け、油絵だけでないその多才さを物語っています。
◇光と影が織りなす独特の世界観
華やかな色彩と曲線に描かれた女性像は、女性の内面に持つ強さを感じる作品でもあります。昭和49年には、ブラジルの日伯文化協会(ブラジル日本文化福祉協会)の依頼で、当時の皇太子と皇太子妃を描いています。その画は、サンパウロ市の日伯文化協会皇太子記念館の貴賓室に掲げられています。その時にブラジル政府から、サン・フランシスコ最高勲章グランクルース章を受章しています。また、明治以降に日本人で正式に皇室を描いたのは、宮永岳彦のこの作品のみと言われています。
宮永岳彦の代表する作品は、「燦」や「賛」など、また、「翔(ボッティチェルリ「プリマヴェラ」想)」や「聖(ベラスケス「王女マルガリータ」想)」などです。舞踊をテーマにした「ファルーカ」や「白鳥」などは他の画とは異なった、情熱的でそれでいて柔らかなタッチが躍動感をうまく表現した作品です。