美術家

グラフィックデザイナーの草分けのような作品が多い竹久夢二さんとは

大正ロマンを感じさせる画家竹久夢二さんとは

「夢二式美人」という言葉が生まれたほど、大正期に大衆から絶大な人気を誇った画家といえば、竹久夢二さんをおいて他にないでしょう。竹久夢二さんは1884年に岡山県で生まれましたが、父の事業の失敗で福岡県に移り、八幡製鐵所で製図工として働きはじめました。しかし画家になる夢を捨てきれず上京し、一時期は社会主義運動に傾倒していきます。平民社の雑誌「直言」に竹久夢二さんの挿絵が使われたことから、次第にに挿絵作家として有名になっていきます。

時代は、ちょうど印刷技術が発展する時だったので、絵葉書や絵入り雑誌が大変人気となり、現在でいうイラストレーターとして、竹久夢二さんはとても人気の画家となりました。

また竹久夢二さんは詩人としても大変有名であり、例えば今日でも時々CMなどで使われる「宵待草」の詩は、彼によるものです。宵待草はメロディーをつけられたことで、大衆の愛唱歌として当時大変なブームとなりました。

大衆に人気のあった竹久夢二さんでしたが、日本画壇からの評価はあまり芳しいものではありませんでした。しかし、生活と結びついた美術という観点を重要視していた竹久夢二さんは、現在のグラフィックデザイナーの草分け的存在であったといえるでしょう。

竹久夢二さんの作品を手に入れたい!

竹久夢二さんは、現在でも全国で展覧会が催されるほど人気の画家です。画廊では、木版画やリトグラフなどの作品が販売されており、大きさや種類によって値段は大きく変わりますが、安いものだと5万円前後、高いものだと25万円前後で取引されています。

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